平成30年度「家庭の日」作品コンクール 最優秀賞(中学・高学生の部)

家族一丸となって

福島大学附属中学校 2年 高橋 苑子

 「お兄ちゃんにおまいり出てもらおうと思ううんだけど。」

 母の一言に、私はとても驚いた。私の家は寺である。祖父が名誉住職、父は住職として父が修行を終え、入山してから二十数年、この体制で続けてきた。しかし、祖父が病になり、八月のお盆の棚行はじめ、すべての行事に出られなくなった。父一人では、すべてをこなすことは困難である。しかし、父は一人でこなすべく段取りを始めた。寺のことがよく分からない私ですら、無理だなと思うスケジュールだった。そのような姿を見て、母はひらめいた様子だった。私の兄は、今年大学二年生だ。宗教の大学ではなく、本人の希望で、写真学科に進学した。寺に生まれた男子は、当然跡継ぎとして周囲からの期待もある。その中での写真学科進学は、家族として心配になるようなことだった。もちろんまだ修行をしていないので、有髪である。その兄が、おまいりすることは、いくら祖父の病があったとしても、大丈夫なのだろうか。私は半信半疑だった。父も同じく、最初は反対だった。おまいりを人前で行う資格を得ていない人間が、衣をつけ拝むことは、本尊様に申し訳ないと父は言う。私も、このことで、兄の身に何かあったら、と考えると、嫌だった。しかし、母はこう言った。

 「おじいちゃんが厳しいこのような状況の時こそ、家族一丸となって協力すべきだ。」

 兄は、ためらいなく二つ返事で、おまいりすることを受け入れた。兄自身、どこかに後継ぎぎの自覚はいつも感じていたのだろう。今風に伸びた髪を切り、何からすればよいかと言う兄に、覚悟すら見えた私は、母の読みの深さに感服したと共に、家族一丸という言葉を意識した。このことについて病床の祖父はとても喜び、安心したと話した。父も最後は納得し、兄に行事の説明、お経の打ち合わせを始めた。私は、新しく寺が動き出したようなわくわく感と、私は何をすべきかという、この流れに取り残されたくないと思う、不思議な感情が芽生えた。

 お盆を迎えた日、夕方からご先祖をお迎えする行事がある。一年の中でもとても忙しい日の一つが始まった。今年は暑い日が続き、夕方と思えない気温の中、大勢の方々が集まっている。せわしなく扇風機が回り、蚊とり線香の匂いがして、たくさんのローソクの火がゆらめき、お寺の素晴らしい香りがただよう毎年毎年体感してきた光景が、今年は違って見えた。そうなのだ。今年は父と兄の二人でおまいりしているからだ。おまいりの後、法話に続いて、父が私事ですが、と前置きをして、今年祖父が行事に参加しないこと、しかし、代わりに兄が行事に出ることを話した。その時、参列の方々の表情が緩み、会場が和んだのだ。私は確かにその空気を感じた。そうか、皆さん待っていたのだ。今年に入り祖父が病気がちで、不在も多かったこと、父がその分も忙しく働いてこなしていたこと、私たち家族も抱いていた不安を、寺におまいりに来る方々も同様に感じていたのだな、と。まだ、たどたどしい読経の兄、それをカバーしようと、いつにも増して声を張る父、それを支えるかのように熱心に手を合わせる参列の人々。私は自然に頬を伝うものがあった。焦りのような感情を抱いていたはずの私は、この泪の意味を理解できなかった。それでも泪はこぼれていく。そうか、私は安心したのだ。たくさんのおまいりに来た方々を見送りながら、その答えを噛み締めていた。行事も終わり、兄は少し照れくさそうに、初めて着た衣を脱いだ。父は清々しい顔をしていた。そのような二人を見て、母もどこか嬉しそうにしていた。今までとは違う、何かが動き出したような瞬間だった。

 寺は、前時代的に思われている。つまり、今の時代とは合わないという印象である。しかし、私たちはその寺で生活をしている。これからの多様なニーズに合わせて、できる限り努力をしている。その中で、寺を守る家族の在り方をとても実感した夏となった。母が言った「家族一丸」、私はこの言葉がとても大切だと感じた。一人一人の役割を十分に果たす。そして、心一つに物事に遭遇する。私は十四歳の今出来ることを考え、家族のため寺のため、自分の在り方を正しく持っていきたい。

 おまいりが終わって静かになった本堂で、私は深呼吸をした。空は曇り空だったが、私の中では、美しい星空のような、晴々とした気持ちだった。これからは、父、母、兄、私でこの寺を守っていく。あの時の泪、感動を胸に刻んで、歩んでいきたい。

 そう、「家族一丸」となって。