令和元年度「家庭の日」作品コンクール 最優秀賞(5・6年の部)

家族に寄り添って

須賀川市立第二小学校 6年 鈴木 芽生

「ママ!かゆいよ!痛いよ!」
三十分前に五才の誕生日のケーキを食べたばかりの弟が、泣きながらお風呂から上がってきた。
わたしと母は何が起きたかさっぱり分からなかった。弟は全身が赤くはれ上がっていた。これをじんましんと呼ぶことを、わたしは後で知った。次の日遠くの病院へ行き、弟には食物アレルギーがあることが分かった。

 その夜、家族会議をした。弟のアレルギーは、小麦、卵、乳製品に反応した。だからそれらをまったく食べることができないと言うのだ。びっくりした。母はこう言った。
「これは、家族がみんなで健康になるために、もう一度食事を見直してごらん、という神様からのメッセージじゃないかな。」
と。たしかに弟は、よく幼稚園を休んでいた。お腹が痛いと言っては、ゴロゴロしていた。だからわたしは、母の話を聞いた後、すぐに
「よし!私も弟と同じものを食べる!。」
と言った。母にはとても驚かれたが、昔の日本人が食べていたような、和食中心の生活が始まった。みんなで、同じことに挑戦していると思うと、なんだか家族の絆を感じて、とてもうれしくなった。

 しかし、やはり自分の大好きな食べ物を我慢することは、とてもつらかった。友達がおいしそうにアイスクリームを食べている時も、外食に行った話を聞いたときも、「うらやましい。」と思った。
仕方がないことだし、弟と同じものを食べると決めたのは自分だし、頭では分かっているつもりだったけれど、何度も「どうして弟だけがこんな目にあうのだろう。」と思った。

 それでも我慢ができたのは「弟だけに我慢をさせるのは、かわいそいう。」と思ったからだ。
 弟が一年生になった時、また、家族会議をした。給食を食べられない弟は、お弁当を持っていくことになったのだ。私はたった一人だけお弁当を食べている弟がかわいそうで、私もお弁当を持って行くことにした。
 毎日母は給食の献立と同じようなおかずを作ってくれた。パンの時は米粉パンを、シチューの時はルーを使わずに米粉でシチューを作って入れてくれた。それはとてもおいしく、母の私たちへの思いを感じて、うれしかった。その頃から、我慢するという気持ちはなくなり、食べ物の大切さや健康のありがたさを感じるようになった。

 弟のことを家族で考えているうちに、私も成長できた。私は、家族の誰かが病気で苦しい時、寄り添っていきたいと思う。かわいそうと同情してあげることは、誰にでもできるけれど、思いに寄り添って病気に立ち向かうことは、家族がいなければできないと思うからだ。病気以外にも、家族に寄り添い、寄り添ってもらって乗り越えられることは、たくさんあるだろう。これからも家族とともに、がんばっていきたい。