第38回少年の主張 福島県大会 優秀賞

故郷の誇り

会津若松市立河東中学校 3年 武内 優貴

忘れないでほしい。思い出してほしい。それが私の願いです。

中学三年生になった私は、7月のある週末、5年ぶりに家に帰りました。15歳にならないと帰れない決まりがあるからです。福島県双葉郡大熊町、そこが私の故郷です。あの日、東日本大震災と原発事故によって、私達は自分の家へ帰るのに許可と年齢制限を強いられるようになりました。

避難生活を始めて、今の河東に来るまで、都路村や船引町を転々としました。途中、両親と離れ離れになることもありました。会津での生活は、雪のない浜通りから来た私にはとても新鮮だったし、たくさんの仲間や友達に恵まれて、楽しく過ごすことができました。でも、たまに昔のことが思い出されると、心だけが制限を超えて故郷へ飛んでいき、私は15歳になるのが待ち遠しくなりました。15歳は、一時帰宅が許される年齢です。一時帰宅という言葉、皆さんは覚えていますか?

父の車で大熊町に向かう途中、私達は双葉町にある祖母の家に寄りました。古い家が持つ、あの何とも言えない独特の雰囲気が私は好きでした。伸び放題の草を踏み分けて進んでいくと、大好きだった双葉のばあちゃんの家は、荒れ果てていました。窓ガラスが割れ、中はめちゃくちゃ、もしかすると泥棒が入ったのかもしれません。あまりの変わりように私はショックで、何も言えませんでした。

大熊に向かう車の中で、ふと、二つ上の幼馴染みが先に一時帰宅した時のことを思い出しました。彼女は変わり果てた自分の家の姿を受け止めきれず、車から降りることができなかったそうです。そこで私は開き直ることにしました。何を見ても気にしないでいこう、変わっているのは仕方ないと考えよう、と心に決めたのです。

次の瞬間、私の目に懐かしい光景が飛び込んできました。通っていた小学校、そこに貼り出された自分の名前、ピアノ教室に行く途中で毎回見ていた看板、当たりが出るまでおやつを買った行きつけの駄菓子屋。「ああ、やっぱり私の故郷はここなんだなあ。」と胸がいっぱいになりました。

いよいよ、5年ぶりの帰宅です。ドアを開けて「ただいま。」と言いました。防護服の暑さで体はベタベタでしたが、昔遊んでいた人形や思い出の絵本が私を待っていて、とても幸せでした。ただ、今回は持って帰れませんでした。置きっ放しだった物には放射性物質が付着しているかもと言われたからです。

帰り道、父は私を海に連れて行きました。浜の風に心地よさと懐かしさを感じながらも、あの日見た津波の光景が思い出され、心が苦しくなりました。

あれから5年。東日本大震災はまだ終わっていません。

故郷に帰れないでいる人、諦めるしかない人はたくさんいます。復興のため、被災地で今も戦っている人、耐え抜き苦しみ抜いている人がたくさんいます。それなのに、震災がもう過去のことと思い込み、「賠償金たくさんもらってるんでしょ。もういいじゃん。」といってくる人がいてとても悲しくなりました。いくらお金をもらっても、いくらそのお金で再スタートを切ることができても、故郷の姿がもう元にもどることはありません。故郷を忘れることはできません。いえ、私達はあの震災を忘れてはいけないのではないでしょうか。

忘れないでください。あの日、大津波と原発事故が福島を襲ったことを。

忘れないでください。「がんばっぺ福島」を合言葉に、福島の人達が立ち上がったことを。

そして皆さん、時には思い出してください。故郷の誇りをかけて頑張るあなた自身のことを。