第38回少年の主張 福島県大会 優秀賞

「友好のかけ橋」

田村市立船引南中学校 3年 山口 実紗

私の家族は、父母、二人の兄と私の五人家族です。一見普通の日本人家族に見えるかもしれませんが、母と一番上の兄は国籍が中国です。母と兄の会話はたいてい中国語です。私にはほとんどが理解できません。たまに中国から祖父母やおばが遊びに来ますが、私は一緒に出かけるのが苦手です。いつも大きな声で会話をするので、周りの人たちがこちらをじいっと見てきて恥ずかしくなってしまうのです。「ここは日本なんだから、日本人みたいに振舞ってよ。」私はそんなことを考えていました。

「顔は似ていても日本人と中国人は全然違うな。」こんな思いから、私は中国と日本の文化の違いについて知りたくなりました。例えば、中国では、生存競争に勝つことが評価され、みんなトップを目指します。自分の意見を主張しないと理解されず、取り残されてしまうのです。彼らの中で、はっきりしないのはオーケーと言っているのと同じなので、自然と声が大きくなり、感情表現もはっきりさせるのです。そんな意識が街並みや衣服の鮮やかさにも表れています。それに比べて日本はというと、控えめ・協調を美徳としていて、多くの人が人並みであることを望みます。贈り物をする際に「つまらないものですが。」空腹の際に「お腹がすいた『かも』。」とへりくだったり、曖昧に表現したりします。出しゃばらず、周りを見て「察する」ことが重要なのです。日本人の心には「詫び・さび」があるのだと、私は、京都の修学旅行で学びました。

このように日本と中国では同じアジアでも思想や文化に多くの違いがあります。ですから誤解やトラブルが生じることも無理はありません。私自身ニュースを見たり、歴史を知ったりして、「日本と中国はどうしてもっと仲良くできないの。」と悲しくなることがあります。しかし、その違いの壁があっても私の父と母は仲良く生活しています。これはなぜなのでしょうか。

父と母は中国で知り合いました。見合い会場で偶然見かけて父が通訳を介して話しかけたのがきっかけでした。後から聞いたところによると父の一目ぼれだったそうです。お付き合いが始まった当初はお互いの言葉が分からないので、漢字一文字を書いて気持ちを伝え合ったそうです。また、食の好みが合わないときには無理して合わせず、食べたいものを食べるというようにお互いの気持ちを尊重しあったそうです。そんなふうにして徐々にお互いを理解し、尊重し合った結果、父と母は結婚にたどり着き、今も幸せに生活しています。また、親戚が何かと気にかけてくれたり、区長さんが母を講師として水餃子の講習会を開いて地域の方と交流を持たせてくれたことも今の幸せにつながっていると、父は私にそう話してくれました。私は、そんな両親の元に生まれて幸せです。両親を誇りに思っています。そして、父の話を聞いて「外国人同士がうまくやっていくためには、よい協力者が必要なんだな。」そう感じました。

私は、将来、外国からのお客様をもてなす観光の仕事をしたいと考えています。日本各地の美しい風景や楽しさ、日本人の奥ゆかしさなどを、たくさん紹介して、日本を大好きになってほしいです。また、中国のことをもっと学んで基本的な考え方やフレンドリーでパワフルな中国人の良さなどを伝えたいと思っています。

ニュースを見ると、政治や経済の問題で日本と中国には大きな壁があるようです。しかし、よい協力者の元、お互いの心と心が触れ合えば、様々な問題はいつか解決に向かうと思います。そして、様々な国の方々の触れ合いのお手伝いをすること。これが日本と中国両方の血を受け継いだ私の夢・目標です。