第38回少年の主張 福島県大会 優良賞

真実を見て・・・

会津坂下町立坂下中学校 3年 藤田 茉記

「放射能?私は福島県でも会津に住んでいるから大丈夫だよ。」私はその言葉に隠れている偏見に気づきませんでした。

「福島・水俣交流事業」と聞いたとき「水俣病の水俣か」内心暗い気持ちになりながらも、社会科で学んだことがあるな・・ぐらいの気持ちで参加を決めました。

事前研修では熊本県PTA連合会長の中村さんから「私も水俣病と認定されています。3年前まで家族に自分が水俣病であることを伝える決心が付かず、ずっと隠し続けることが辛かった。」というお話を聞きました。それを聞いて、水俣病とは何十年も家族にも秘密にするほど重い事実で、同時に水俣病の方々が今なお、見えない差別に苦しんでいることを知りました。そして、水俣に行くことの責任の重さを思い知らされました。

事前研修から1ヶ月後、水俣市を訪問しました。語り部の杉本さんのお話で感じたことは「死と隣り合わせの生」「差別の屈辱」の苦しさでした。杉本さんが思い出すお母さんのにおいは湿布のにおい。水俣病に冒されたお母さんがその痛みを和らげるために貼ったたくさんの湿布のにおいがお母さんのにおいなのです。悲しすぎる思い出だと思いました。痛みに苦しみながら家族が一人ずつ亡くなっていく。そのうえ、水俣病の原因がわからずうつる病気と思われ隔離され、差別を受けた事実も知りました。一人ずつ亡くなっていく家族を目の当たりにし、悲しみに沈むと同時に「次は自分かもしれない」と思う恐怖はどれだけのものだったのか、私には想像さえつきません。そして、いわれのない差別。家中を消毒されたり、白い目で見られたりする屈辱的な差別は、なぜ起きたのでしょう。差別の温床は偏見にあるのだと思います。

そういう意味でいえば私たちの福島県も同じです。震災時は放射能の知識もなく大混乱を来しました。物流が滞ったのは地震による交通網の寸断だけが原因ではありませんでした。福島入りを拒んだたくさんの人がいたからです。農産物や海産物、観光も大きな打撃を受けました。これらに共通していることは正しい情報がなく、偏見に満ちた風潮があったからだと考えられます。しかし、私たちはそのことを批判できるでしょうか。正しい情報がなければ危ういものには近寄りたくないと思うのは当然のことだと思うからです。だからこそ、私たちは正確な情報を、正しく判断し、偏見をなくす努力をしなければならないと思うのです。

水俣市は水俣病を乗り越え、きれいな海が戻っています。私自身も実際に青く澄んだすがすがしい海を肌で感じました。私が接した人々も本当に優しい人ばかりでした。このように水俣市が変われたのも、正しい情報が発信され、偏見のない真実を見極め行動する強さがあったからなのです。このことは私たち福島に生まれた人々が生きるヒントになります。福島の実情を捉え、真実に基づいて行動する強さが必要なのです。

水俣訪問後、調べてみると、福島で収穫された農産物・海産物、それらはみな、厳しい検査がなされ日本一安全な食べ物だとわかりました。正しい知識がなかったために、福島の食べ物を信用していない自分や「私は福島県でも会津地方に住んでいるから大丈夫」と無意識に県内の他の地域の人々さえも差別していた自分の浅はかさを思い知らされました。水俣市への訪問や杉本さんとの出会いは正しい情報・真実に基づいて行動することの大切さを教えてくれました。

私たちが長年培ってきた「情に厚く、粘り強く、そして誠実な福島県の県民性」は忘れてはならない「誇るべき宝」なのだと再認識させてもらいました。そんな福島県に生まれたことを誇りに思います。震災が起きてからなんとなく言うのが嫌になっていた「福島県出身」という言葉も今なら胸を張って言うことができます。「福島に生まれてよかった。」

誇りを持って私たち一人一人が生きることによって、必ず偏見を克服できると確信しています。まず私が誇りを持って生きていきます。