第38回少年の主張 福島県大会 優良賞

母からもらった宝物

鮫川村立鮫川中学校 3年 藤田 弥生

悪性リンパ腫。この病名を聞いたとき、あまり、ピンとこなかったのが正直なところです。後に、悪性リンパ腫は、血液中を流れたり身体の中をめぐっているリンパ球という細胞が異常に増えるという、血液のがんのことだと知ることになります。2年前まで、母が闘った病気のことです。

母は初め、「なんだか腰が痛い。」という理由で病院へ行きました。そしてなぜかそのまま入院することになりました。母のいない生活は大変でしたが、きっと1、2週間もすれば退院するだろうと考え、家族で家事を分担しながら母の帰りを待ちました。しかし、母は退院するどころか、車で2時間近くかかる大きな病院に転院することになったのです。学校が終わると父と私と妹で、毎日のように面会に行きました。母はいつも笑顔で私たちを迎えてくれました。私と妹は代わる代わる学校での出来事を母に話すのが日課になっていました。母が退院できない事への不安もありましたが、温かい母の手を握っていると不思議と安心することができました。

その日も、いつものように午後8時までの面会を終え、帰宅して眠りにつきました。午前2時過ぎのことです。家の電話が夜中であるにも関わらず鳴り響きました。病院からでした。悪い予感が頭の中を駆け巡りました。父から、母が亡くなったことを聞かされました。「嘘でしょ。」そう聞き返すのが私には精一杯でした。

病院へ向かう途中、涙が後から後から流れました。もしかしたら何かの間違いかもしれない。そんなことばかり考えているうちに病院に着きました。病室に入り、母のそばに歩み寄りました。しかし、母が私たちに笑いかけることは二度とありませんでした。母の手を握りしめました。冷たい手でした。数時間前には話をしていたのに。また明日来るねって言って手を振ったのに。明日も明後日も、ずっと会えると思っていたのに……。

母の葬儀が終わってから何日経っても何ヶ月経っても、私は母の死が受け入れられずにいました。「なんでもっと手伝いをしなかったんだろう。」「なんでもっと感謝の気持ちを伝えなかったんだろう。」そんな後悔が日増しに強くなるばかりで、沈んだ気持ちで毎日を過ごしていました。ある日、母の写真を眺めていると、その笑顔は今にも語り出しそうな気がしました。「弥生、何泣いてるの。」とでも言いたそうな優しい笑顔を見ていると、母はどんなに疲れていてもいつも笑顔で接してくれていたことを思い出しました。そんな母の笑顔に包まれて私たち家族は笑顔あふれる日々を送ってきたことも思い出しました。母が亡くなってから、毎日泣いて、悔んで、笑顔を失った私を、天国の母はどんな気持ちで見ているだろう。このままではいけない。ふと、そんな思いがわき上がりました。

身近な存在のありがたさや大切さに気づくのは、なぜその存在が身近ではなくなってしまってからなのでしょう。もう、後悔したくない。そう思った私は、今身近にいる家族や友達を精一杯大事にしたいと考えるようになりました。仲が良ければたまにケンカもありますが、「ごめんね。」や「ありがとう。」を直接言える距離にいる嬉しさを感じます。身近にいる人を大切にする事ができる。こんな当たり前のことが、私にとっては本当に幸せなことだと気づかせてくれたのは母でした。

しかし、最近ニュースを見ていると何かと悲しい事件が起こっています。テロリストによって空港やレストランが襲撃されたり、福祉施設の入居者が次々と刺されたり、時には自分の命さえ粗末にするような事件も報道されていて心が痛みます。自分の快楽や、偏った思想のために突然家族を奪われた人たちの悲しみを思うと、強い怒りを感じます。なくなって良い命など、一つもないはずです。その人にとっても、その人のことを大切に思っている人にとっても、たった一つの大事な命なのです。

母が私に残してくれた最大の宝物、それはこの命だと思います。長いようで短かった人生という道を、共に強く歩む姿を見せてくれた母。私にこれからの人生を歩んでいくために大切なことをたくさん教えてくれた母。感謝してもしきれないほどの思いが、胸にあふれています。母への一番の恩返しは、母からもらった命を大切にし、それと同じくらい他の人の命も大切にすることだと思っています。必死に生きた人が、必死に次の世代に受け継ぐ命。今を生きるすべての人が、改めて命の大切さを見つめるべきではないでしょうか。全ての命が輝きつづけるように。