第39回少年の主張 福島県大会 優秀賞

「友よ、この先もずっと」

田村市立船引南中学校 3年 山代 綺華

 小学生の時、私にはとても仲の良い「ゆうき君」という男の子の友達がいました。彼はスポーツ万能で、クラスの皆を笑わせてくれるムードメーカーでした。照れ屋なところもあるけれど、女子が思い荷物を持っていると何も言わずにそっと持ってくれるようなとても優しい人でした。勉強で分からないところを「ここはこうなんだよ。」と丁寧に教えてくれたりもしました。同級生なのに、何でもできて優しくて、私より一歩も二歩も先を歩いていた彼は、私のヒーローでした。

 小学校4年生の夏休み。ゆうき君との別れは突然やってきました。私は、リビングで家族とテレビを見ていました。その時、帰宅した祖父の言葉に私は耳を疑いました。「おい、ゆうき君が亡くなったって。」話は続きましたが、祖父の声は、どんどん遠くなっていきました。

 ゆうき君が亡くなったのは、家族で出かけた埼玉で、ゆうき君達が乗っていた車に居眠り運転のトラックが追突したからでした。ゆうき君は妹の愛ちゃんに覆いかぶさるようにしていたそうです。その時亡くなったのはゆうき君ただ一人でした。私は、その現実を受け入れることができませんでした。そんなのうそだ。だって、ついこの前まで一緒に遊んでいたのに。信じない。信じたくない。ゆうき君、帰って来て。そればかりでした。クラスの皆でゆうき君にお別れのメッセージを書きましたが、彼との思い出がたくさんありすぎて、枠に収めきれませんでした。

 ゆうき君が天国に旅立って3年が経ち、私は、中学生になりました。ゆうき君のいない寂しさは消えず、何に対しても今一つ身が入りませんでした。

 そんな中、今年の6月、私は、キャスターの小林麻央さんが亡くなったことを知りました。乳癌を患い、34歳の若さでした。その時、私は彼女と残された方達を単純にかわいそうだと思いました。しかし、それは間違いであることに気付かされたのです。「私はかわいそうだと思われたくはない。私の人生は、夢を叶え、もがき苦しみ、家族に愛され、愛した、彩豊かな人生だ」小林さん自身の言葉です。私は、はっと胸をつかれました。私は、早くに亡くなった人の人生は不幸なものだと思い込んでいました。しかし、小林さんの言葉で、人の一生というものは、長さだけでは測れないのかもしれない、と思い直しました。ゆうき君の人生は、たった9年でした。しかし、小林さんの言葉で、彼には、彼の、人をいたわり、愛され、輝いた日々があったことを私は、思い出しました。大事な人を亡くした悲しみは、そう簡単には消えません。しかし、残された人が、いつまでも泣いていたら、亡くなった人も天国で心を痛めてしまうと思います。だから、生きている私たちは、たくさん泣いたら涙を拭いて、亡くなられた方の分まで、人生を一生懸命、前を向いて歩いていかなくてはならないのです。そうすることで、亡くなった人の人生は、私達の心の中でその先もずっとずっと輝き続けるのではないでしょうか。

 私は、これからゆうき君を語る時、彼がいかに亡くなったか、ではなく、どんなに素敵な日々を過ごしたかを語ろうと思います。そして、安心して学校で勉強できること。趣味を楽しみ、友達と笑いあえること。時々けんかもするけれど、心配してくれる家族がいること。そんな当たり前に感謝しながら、日々を大切に過ごしていきたいと思います。なぜなら、私たちが何気なくやり過ごす今日は、もっと生きたかった人達のかけがえのない明日かもしれないのですから。