第39回少年の主張 福島県大会 優秀賞

笑顔の向こう側に

福島県立会津学鳳中学校 3年 菊地 結月

 「大切な人の笑顔の向こう側にあるものに気づきたい」これが私の人生の目標です。

 皆さんは、誰かの笑顔を見ると、どんな気持ちになりますか。こちらまで嬉しくなったり、楽しくなったり──。笑顔は誰かを幸せにする。私もそう思います。しかし、皆さんは、それが「心からの笑顔だ」と言い切れるでしょうか。私には、「笑顔の向こう側にあるもの」に気づかせてくれた、忘れられない、忘れたくない、一つのエピソードがあります。

 2011年3月11日、突然、私たちを大きな揺れが襲いました。鳴り響く地震の警報、県内を襲う見たこともないテレビ越しの景色は、まさに「恐怖」そのもので、私の脳裏にはっきり焼きつきました。

 その後、震災の影響で、私たちの小学校に転校生がやってきました。雰囲気を明るくしてくれる女の子で、私は何をするにも彼女と一緒でした。今でも私は胸を張って、彼女を「親友」と言うことができます。

 しかし、一つだけは彼女に対して悩みがありました。それは、彼女が昨日のことでもお喋りするかのように、震災について話すことでした。彼女の小学校2年生の修了式がなかったこと、彼女の家で営んでいた果樹園がすべて津波にのまれてしまったこと。その辛い体験を話す彼女の顔は、いつもと変わらない柔らかい表情で、その落差が、私にはとても悲しかったです。あの頭に焼きついて離れない惨状の中に彼女はいたのにも関わらず、こんなにも淡々としている。このことが、彼女の辛さをより際立たせているように感じました。この話を聞いて以降、私は彼女に対して、変に気を遣い、本音で話すことができなくなってしまいました。

 彼女の辛さを受けとめきれない自分に苛立ち、そして「なぜ私に震災のことを話すのだろう」と彼女を悪者にし、心の中で責めることさえもありました。彼女の話に、作り笑いを作って応じる私。彼女への不満の気持ちも大きくなっていきました。

 そんなある日、彼女から突然転校するということを告げられました。そしてそのときに彼女が震災の話を私だけにする理由を教えてくれました。誰かに打ち明けないと、彼女自身がダメになりそうだったこと、しかし、同じ辛い思いをしている家族にはどうしても言えなかったこと。そして、彼女は私に謝りました。結月に辛い思いをさせてごめんね、と。私が見た、最初で最後の涙でした。

 私より彼女の方が辛いはずなのに、自分のことばかり考えていた恥ずかしさと、素直になれなかった自分への後悔の気持ちがわいてきました。そして、いつもの彼女の笑顔の裏に隠されていた事実を、一つひとつ、その言葉と涙が明らかにしていきました。

 いつも笑っている人にも、その裏には誰にも理解できない苦しみがあるかもしれません。今、笑っていても、その向こう側では、「心の涙」を流しているかもしれません。これは、震災に関することに限らず、日々の人間関係でも言えることではないでしょうか。もしかしたら、私のあのときのあの言葉が、あの子を知らない間に傷つけ、あの笑顔は作り笑顔だったのではないか。そう考えると、なんだか怖い気がします。

 「大切な人の笑顔の向こう側にあるものに気付きたい」私の人生の、一つの大きな目標です。この目標は、私の親友が残してくれた贈り物だと思っています。

 最後に、小学校3年生という幼い年齢ながら、周囲を気遣い、苦しみを強さで隠していた、私のいちばんの親友を尊敬するとともに、誇りに思います。