第39回少年の主張 福島県大会 優秀賞

「認める」

田村市立大越中学校 3年 遠藤 彩花

 私には8歳違いの姉がいます。姉は努力家で何事にも、あきらめず一生懸命取り組みます。スポーツも勉強もよくできて、私が幼い頃は、私の面倒をよく見てくれるなどとても優しく、姉は私の憧れでした。

 しかし、そんな憧れの姉に対する私の感情は、私が小学校高学年になるにつれてだんだん変化していきました。次第に親や周りの人に、私が姉と比べられるようになったからです。「お姉ちゃんはできるのに、なんであなたはできないの?」「お姉ちゃんを見習いなさい」そんなふうに周りから言われることが増え、自分ではがんばっているつもりなのにそう言われると何だか自分がとてもダメな人間に思えてきて、「みんな姉のことしか見てくれない」「私は必要ないのかもしれない」と思うようになり、自分から家族や周囲の人と距離をおくようになりました。

 私は姉に一歩でも近づこうと、中学1年の後期に学級委員長に立候補しました。しかし、委員長として学級をまとめるのは大変で、一人一人の意見を大切にしていると、物事を一つに決めることができず、悩むことが多くなりました。自分がやらなくてはいけないと考えて、友達に助けを求めることができませんでした。自分なりに考えたことをみんなに伝えると、さらに意見を出されて、収拾がつかなくなり、私は強い態度で周囲に当たってしまいました。友人関係もうまくいかなくなり、勉強も手につかず、どうしていいかわからなくなってしまい、私は自分自身を傷つけるようになってしまいました。やる気が出ず、学校も休みがちになり、勉強もわからなくなりました。親に怒られ、姉と比べられ、私のイライラは一層募るばかりで、また自分を傷つける。そんな繰り返しでした。

 私の変化を心配した友人や先生が、「どうしたの?」「何かあったの?」と声をかけてくれましたが、素直になれず、心を閉ざし、さらに距離をおくようになりました。

 私は不満だらけでした。誰も自分を認めてくれないから…。特に、姉と比べられるのが一番嫌でした。私は私なのに…。委員長になったのも、がんばっていることを親に認めてほしかったからです。姉のようにいい結果が出なくても、褒めてほしかったのです。そして、私は友達がうらやましかったです。友達は親に話を聞いてもらったり、一緒にどこかに出かけたりしているのに、私の家は両親共働きでどちらも忙しく、あまり話もできない。自分はいつも一人だと思うと寂しかったです。

 常にイライラし、不平不満の塊だった私を救ってくれたのは、友人でした。親身になって話を聞いてくれ、そばにいてくれました。そんな優しさが、私を素直にさせてくれました。

 実は、私はわかっていました。本当は自分が悪いことに…。姉と比べられるのが嫌でしたが、それは「お姉ちゃんのようにあなたもできる」という励ましであることを本当は知っていました。

 「認める」ことは難しいことです。親が私を認めてくれなかったのではなくて、本当は私自身が、弱い自分自身を「認めて」いなかったのです。嫌なことから逃げている自分を認めたくなかったのです。中学生になったのに、心は十分に成長できず、どこまでも親や周囲に甘えていました。そんな自分を認めたくなかったのです。親とたくさんぶつかり、友達や先生にもいろいろ迷惑を掛けて、私はようやく気づきました。

 自分の弱さを素直に認められるようになった今、私の心には、周囲の人の温かい言葉がしみじみと響いてきます。

 「気づいたときがスタート」と言われますが、私は、ここから、確かな自分の一歩を踏み出そうと思います。弱い自分自身を乗り越え、もっと自分を成長させるために…。今度は嫌なことから決して逃げずに…。