第39回少年の主張 福島県大会 優良賞

「気持ち」を伝える「言葉」を

会津坂下町立坂下中学校 2年 芦沢  優

 2020年、夏。3年後の日本は、そして、福島は、どんな空気に包まれていることでしょう。福島でも一部オリンピックが行われることを思うと、ワクワクします。と同時に、自分を含めた福島の人々の戸惑いと不安そうな顔が今から目に浮かびます。

 そんな戸惑いと不安を払拭するためのキーワードは二つ。一つは、「勇気」。もう一つは、「言葉」。自分自身の経験をとおしてぼくは、そう強く思うようになりました。

 母の仕事が英語関係であるため、ぼくの家には、よく外国人がホームステイに来ます。

 2年前、カナダから、17歳の女の子が一か月のホームステイにやってきました。その子は、コミュニケーションを積極的に図ろうとはせず、何をしに日本に来たのだろうかと思わずにはいられませんでした。父と母は、色々な所に連れて行ったり、カナダ出身の知り合いと会い英語に戻る時間を作ったりしました。ぼくも、できるだけ英語で話す努力をしました。しかしそれでも、彼女の姿勢は変わらず、彼女の心に触れることなく、ホームステイは終了しました。

 1年後、ぼくは、アメリカのオハイオ州にいました。今度はぼく自身が、1か月のホームステイをしたのです。

 ぼくは、自分から積極的に交流し、ホストファミリーと楽しく過ごそうと思っていました。しかし、言葉の壁が立ちはだかりました。慣れない土地でのホームステイ。聞き取れない英語、日本語が全くない世界。話の輪に入りたいのに、入れない時間。そんな積み重ねが、自分から話そうという気持ちを奪っていきました。頭が混乱し、気持ちが乱れ、何をすればよいのか分からなくなり、何の収穫もないまま、時間の流れるまま食事をして寝るだけという生活になっていました。そう、その時のぼくは、「カナダのあの子」と、全く同じだったのです。わざわざアメリカまで来て、一体何をしているのだろう。ホストファミリーに、迷惑をかけているだけではないのか。そして、「こいつは何をしにここにきているんだ」と、ぼくがあの子に抱いた感情を、ホストファミリーも持っているのではないか。自問自答を繰り返す日々が続きました。

 そんなある日、ぼくたちは中華料理店に行くことになりました。今思うと、ホストファミリーの心遣いなのでしょうか、そこには、日本語を話せる中国人の店員がいたのです。そして彼は、カタコトの日本語で、ぼくにこう話してくれました。

 「失敗してもいいから、自分から交流していかないと、だめだよ。私も最初は、全然だめだったよ。でも、自分からいかないと、相手も心を開いてくれないよ。言葉じゃなく、気持ちだよ。」

 言葉ではなく、気持ち。その言葉が、ぼくを心の迷路から救ってくれました。

 「よし、言葉が通じなくてもいいから、全身で自分の思いを伝えよう。」

 ホストマザーの手伝い。日本の遊びをやろうという提案。もちろんたどたどしい英語ではありましたが、ホストファミリーとのふれあいが増し、笑顔も増えました。ぼくが帰国するときには、反対に寂しそうな顔、顔。もちろんぼくも寂しさのあまり、日本に帰りたくないほどでした。言葉ではなく、勇気。それが交流の第一歩。勇気を出して交流し、本当に良かった。そう思った瞬間でした。

 そして、今年。ミクロネシアから少年2人をショートステイで受け入れました。勇気を持って、たくさん話しかけようと思いましたが、事態はそう簡単ではありません。一人の男の子は、1年前の自分、2年前のカナダの女の子と同じだったからです。「言葉ではなく気持ちだよ。」-今度はぼくが励ましたかったけれど、残念ながら、自分には十分な英語力がありません。「言葉ではなく、気持ち」というアドバイスに1年前のぼくは励まされましたが、それはあくまで第一歩。次のステップは「気持ちだけでなく、言葉」です。他者と関わろう、つながろう、思いを伝えようとする気持ちと、そのための言葉、今のぼくには英語力を磨くことが、気持ち以上に大切なこと。スムーズなコミュニケーションの両輪なのだと痛感しました。

 福島は、原発事故で傷つきました。そんな福島県民だからこそ求められるのが発言力、「気持ち」と「言葉」だと、ぼくは思います。例えば、福島の安全性。例えば、県民みんなが元気にがんばっている姿。例えば、ノー・モア・フクシマ、等々。そんな様々な内容を十分訴えられる「言葉」、英語力を身につけることが、とても大切だと思えるのです。

 東京オリンピックで、そして、更に未来のステージで。世界中の人々と、勇気をもってコミュニケーションを図り、自信を持って発信できる、そんな自分になってみせます!