第39回少年の主張 福島県大会 優良賞

「つなぎたい先人の心」

新地町立尚英中学校 3年 渡部愛佳利

 これは、新地町の民俗芸能の一つである、「巫女神楽」で使われる神楽鈴です。

 新地町には地区ごとに「十二神楽」と呼ばれる、県内でも類例の少ない神楽が伝承されています。神楽は本来、神聖な場所に神を迎え、人間の長寿を祈るための神事から発したと伝えられています。

 小学5年生の時、母に連れられ例祭に出掛けた私は、その時初めて「巫女神楽」と出会いました。私とあまり年の違わない女の子たちが4人、真っ白な「あこめ」に緋色の袴をはき、草花や鳥たちが美しく刺繍された「千早」を纏い、黄金色の「花かんざし」をきらめかせながら粛々と舞う姿に、私の目は釘付けになりました。そんな私の横で母は、「亡くなったおばあちゃんが『孫娘を授かったら巫女をやらせたい。』とよく言っていたなぁ。」とつぶやきました。その日から私は、駒ヶ嶺の子眉嶺神社で「巫女神楽」を習い始めたのでした。

 私たちが舞う「浦安の舞」は、皇紀2600年の記念式典のために、神の御心をお慰めすると共に、平和の祈りを込め、全国の神社で一斉に奉納演奏されて以来、今もなお続いているものです。「浦安」とは、古語で「心の安らかさ」を表すとされ、その舞は、「平和を祈る心の舞」と言われています。また、この舞は昭和天皇によって詠まれた、

 「天地の神にぞいのる 朝なぎの海の如くに波立たぬ世を」 

 という大御歌に合わせて舞う、「扇の舞」と「鈴の舞」から成っています。「扇の舞」は、祝いの象徴である檜扇を使い、豊かにひらけゆくことを表し、「鈴の舞」は、三種の神器をかたどった「この神楽鈴」の、清らかな音色が万物を清め、神と心が触れ合う喜びを意味するといわれています。

 「祖母の願い叶えてあげたい。」という、幼き日の純粋な思いから始めた「巫女神楽」。その頃の私には、伝統文化を継承しているという思いは微塵もありませんでした。しかし、中学3年生になった今、改めて「巫女神楽」について調べてみると、伝統文化は大切にしまっておくものではなく、日常生活の中で生かされてこそ価値があると考えるようになりました。多くの人の手によって何十年、何百年と続いているものを、いかに日常生活の中で使いながら、さらに磨き、継承していくかが伝統文化を守ることにつながっていくように思えるのです。

 2011年3月11日。私はまだ小学2年生でした。あの日私は、迫り来る見たこともない大きな大きな波の壁になすすべもなく、恐ろしさに震え、ただただ見つめていることしかできませんでした。あれから6年が経ち、町の再建や復興は進んでいますが、人々の心の傷は深く、決して癒やされるものではありません。愛する家族を失った悲しみや痛み、生活の基盤である家や工場、車や船が飲み込まれていくのを目の当たりにした苦しみや落胆。たった一日で人生が完全に変わってしまったことへの戸惑い……。私自身、6年経ってようやく「現実」として受け止められるようになったばかりです。私たちは、人生の中で様々な喜びや悲しみに直面します。でも私は、喜びを何倍にもしてくる人、悲しみを半分にしてくれる人、そして側にいてただ笑顔でいてくれる人。そういう人たちに感謝し、その関係をもっともっと大切にしていくことで様々な困難を乗り越えていこうと思います。

 あの日、犠牲となった方々のご冥福を祈り、そして、毎日を懸命に生きようとしている方々の祈りが実るよう、世界中でたくさんの方々が日本のために祈りを捧げて下さいました。これからは、ほんの少し成長した私が、伝統芸能継承者の一人としての自覚と責任をもち、新地町に住むすべての方に、平和と安らぎの時間が訪れるよう祈りを捧げ、神聖な「浦安の舞」を今まで以上に真心を込めて舞い続け、次世代につないでいきたいと思います。