第39回少年の主張 福島県大会 優良賞

福島のために

郡山市立郡山第五中学校 3年 河野なつみ

 職場訪問学習で伺った、JR東日本郡山車輌センターには、東日本大震災の時に壊れた壁の一部が、現在もそのまま残されています。それは震災を忘れないためだと教えていただきました。この学習のあと、私は長崎派遣事業に参加し、72年前の原爆投下について学んできました。「形」を残すことは「想い」を伝えることに繋がることをここでも強く感じることとなりました。

 現在の長崎は緑豊かな異国情緒あふれる素敵な街です。原爆投下の焼け野原からどうやって復興していったのかを知ることは、福島の復興のヒントを得ることができるかもしれないと思って学んできました。

 凄惨な展示品がある原爆資料館で私はたくさんの「形」を見ました。11時2分で止まった時計や熱線で沸騰した瓦など、原爆の威力が痛々しく伝わり、言葉を失いました。コンクリートを貫通するほどの放射線が使われていたのです。私は「なぜ長崎が原爆投下の目標になったのか」お聞きしました。その理由は三つあります。一つは空襲をあまり受けなかったこと。二つ目は三菱関係の軍需工場が多かったこと。三つ目は原爆投下後に調査がしやすい街の規模だったこと。ここに一人一人の命の重さはありません。あるのは敵国の都合のみ。この時私は核兵器廃絶の必要性を強く意識しました。犠牲になった長崎の人々にはかけがえのない日常や未来が、一人一人にあったはずです。一瞬にして多くの命が奪われる悲惨な出来事は絶対に起こしてはならいのです。

 8月9日、平和記念式典に参列しました。世界で唯一の被爆者合唱団「ひまわり」の合唱では、語るように歌われた歌詞が深く心に残りました。そして、長崎平和宣言では、市長が「事実を知ることが核兵器のない未来を考えるスタートです。」とおっしゃっていました。私は長崎の事実を知った、スタートラインに立ったんだ、と自分も核兵器のない未来を考える一員になったことを自覚しました。

 また、私がとても納得した部分があります。それは「辛い経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。」という部分です。これは震災で被災した方々と同じ思いではないかと考えました。津波で家族を亡くされた方、原発事故で一家離散を余儀なくされた方、仕事も家も全てを失った方……。未来の福島をつくり、守るのは私たち若者の使命です。長崎の復興に、たくさんの人々が苦しみを語り次ぎ、「形」として残し、前を向いて取り組んだように、私たちもまた力を尽くさなければならないと思います。この研修では、戦争や原爆がどんなに恐ろしいものか知ることが出来ました。長崎市は長崎を地球上で最後の被爆地にするために必死に活動してきました。私たち福島県民も地球上の最後の原発事故地にしなければなりません。もうこんな悲しい出来事を二度と繰り返してはならないという点において、福島と長崎はいっしょなのだと思います。

 私たちは福島で多くの学びをしています。最初に話した職場訪問学習のテーマは「震災を乗り越えてがんばる郷土の仕事場を訪ねて」でした。福島で生まれ育った私たちが、郷土の仕事から学んだのは「大変な時こそ前を向く。」という姿勢でした。ピンチをチャンスにするためには困難を忘れないようにする、そのために自分たちの言葉で震災を語り継ぐことではないでしょうか。それが前を向くということなのでしょう。復興にはまだまだ時間がかかると思いますが、長崎で学んだこと、職場訪問学習で教えていただいたことを生かしていこうと思います。福島のために私ができることを考え、実行できる人になることが私の目標となりました。