第40回少年の主張 福島県大会 優秀賞

「特別扱い」はいらない

福島市立福島第四中学校 3年 藤巻みなみ

 突然ですが、みなさんに聞きたいことがあります。あなたには、障がいを持っている友達や、知り合いがいますか?その人のことを、「特別扱い」してしまったことは、あるでしょうか?

 一つ目の質問に対する私の答えは、「はい」です。私には、小学生の頃から仲良くしている、知的障がいを持つ友人がいます。そして、二つ目の質問ですが、残念ながら私の答えは「はい」です。おそらく、私と同じ答えを出す方は、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?今回私は、「障がいを持っている方々と共に生きる」ということについて、私の体験などを元に話していきたいと思います。

 先程お話しした、私の友人の女の子―仮にMちゃんと呼ぶことにしますが、Mちゃんは「知的障がい」と共に生きています。私と同じ中学3年生ですが、当たり前のようにみなさんがやっていることを、彼女はうまくすることができません。次に何をするべきなのかが分からず、私によくいろいろな質問をしてきます。

 このことを他の友人に話すと、いつも決まって「大変だね。」と言われます。確かに私自身も、そう思ってしまうことがありました。

 しかし、本当にそれでいいのでしょうか。私達は、何か大きな勘違いをしてはいないでしょうか?一番大変なのは、周りの人ではなく、障がいと共に生きている本人です。あることがきっかけで、私はそのことに気付かされました。

 ある日、Mちゃんは私にこんなことを相談してきました。「私、クラスのみんなから睨まれているような気がするんだ。私、何かしちゃったのかな。」と。もちろん、彼女が悪いことをしたわけではありません。悪いのは、彼女を睨んでいたみんなです。全員がそうではないと思いますが、みんなが彼女に向ける視線と、障がいを持っていない人に向ける視線が、違っていることは明らかでした。つまり、私達は彼女を「特別扱い」していたのです。「普通の人ではない」と決めつけて、勝手に差別していたのです。これでは、障がいを持っている方々と、共に生きることはできません。

 では、私達はどのようにして、障がいのある方々に接していけばよいのでしょうか?

 私は以前テレビで、障がいを抱えた子どもを持つ母親のインタビューを見ました。その方は、インタビューでこうおっしゃっていました。「障がいに対する『特別な配慮』は必要ですが、『特別扱い』はいらない。」と。

 私は、この言葉がずっと心に残っています。この言葉から、私は一つの考えが浮かんできました。「特別な配慮」は確かに必要です。

 例えば、障がい者で困っている人がいたら、さりげなく、その人が必要としている支援の手を差し伸べてあげること。これらには優しさと思いやりがあり、誰も傷つくことはありません。しかし、「特別扱い」には思いやりや優しさはありません。結果、傷つく人も出てきてしまうのです。

 私達には、障がいを「障がい」として見るのではなく、「個性」として見ることができる、「目」が必要です。パラリンピックで活躍されている選手の方々は、自分の障がいと向き合い、それを自分の個性の一つとしています。そのことを、健常者の私達が理解することが、とても大切になってくるのではないでしょうか。そうすることで初めて、「障がいを持つ方々と共に生きる」ということができるのです。

 お互いに助け合い、励まし合う。それがどんなに大切で素晴らしいことなのかを、私達若い世代が理解し、伝えていくべきだと思います。