第40回少年の主張 福島県大会 優秀賞

だから私たちは生きている

田村市立滝根中学校 3年 吉田 実来

 「人は最後の瞬間まで、生きる希望に支えられるべきなのです。」

 これは昨年この世を去った日野原重明氏の言葉です。日野原医師は生前、聖路加国際病院の名誉院長を務めていました。1995年に起こった、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」の際には、率先して患者を受け入れ、多くの命を救いました。

 「人が命の尽きるその瞬間まで、『生きている』という幸せや充実感を感じながら過ごすことができたら、どれだけ素晴らしいことだろう。私も人の『生きる希望』を支える助けになりたい。」日野原医師の言葉を聞いたとき、そう思いました。

 私は幼い頃、頻繁にぜんそくや肺炎になり、入院生活を繰り返していました。院内がとても静かで、「早く病院から出て行きたい。」「友達に会いたい。」そう思いながら、窓から病院の外の景色を見ていたあの夜。呼吸困難で「本当に治るのだろうか。」と希望を失いかけたあの夜。辛く苦しいあの日々のことを今でも鮮明に覚えています。ただ時計の秒針の音と点滴が一定のリズムで落ちる光景、それが入院していた時の『私の世界』でした。

 そんな私を支えてくれたのが、家族やお見舞いに来てくれた人たちの笑顔、同室で親しくなった患者さんとの会話、そしてなによりも主治医の先生や看護師さんがかけてくれた優しい言葉でした。「たくさんの人が支えてくれることで、私は生きることができている。」幼いながらもそう感じた経験でした。

 学校で配布された「医療体験セミナー」に初めて参加したのは、中学1年生の時でした。様々な職種の医療関係者に話を聞くことができ、どの方も「治療を終えて、笑顔が戻った患者さんたちを見たときが、一番うれしく、この仕事のやりがいを感じる瞬間です。」とおっしゃっていたのが印象に残りました。また、内視鏡手術に使用する機器の操作体験や人体模型を使用しての血液採取体験、手術の縫合体験など、実践的な技術を体験することができました。想像していたよりもずっと難しく、患者を治療する緊張感や人の命を扱うことの怖さを実感しました。私が肺炎で入院した時に、主治医の先生や看護師さんたちが一生懸命治療したり、優しい言葉をかけてくれたりしたことを思い出し、素晴らしい技術や、細心の注意力、細やかな気遣いに支えられていたことに気づくことができました。この医療体験セミナーに参加して、私も漠然と医療従事者を目指したいと思い始めました。と同時に、「命を扱う仕事なのだから、絶対に失敗してはいけない。」「そんな責任の重い仕事を私に出来るのだろうか。」そんな不安が頭をよぎりました。

 雪が舞い、寒さ厳しい冬のある日のことでした。学校からの帰り道、線路の中にゆっくりと動く黒い影を見つけました。

 「あれは何だろう…。まさか人ではないだろう。」

 そう思いながらも、その黒い影の方に向かって私の足は動き始めました。近づいていくと黒い影の姿がはっきりしてきました。なんと線路の中で人が自転車の下敷きになり、身動きが取れない状態になっていたのです。すぐに救出できたのですが、「あのまま電車が来てしまったら…」「私が人影に気づかなかったら…」そう思うと今でもぞっとします。

 そんな血の気が引くような経験でしたが、あの日を境に私には大きな目標ができました。「緊急事態がいつ発生するのかはわからない。だからこそ医療の世界で、わたしも人の命を支えたい。」

 人と人は助け合っているから、生きている。私はそう考えます。誰かが誰かのことを見守るように、最後の瞬間まで。私たち一人ひとりは命尽きるときまで、希望を持って生きる権利があるのです。今まさにこの瞬間も、どこかで助けを必要としている人がいるかもしれません。まずはわたしから。誰かの支えになる一歩を踏み出します。