第40回少年の主張 福島県大会 優良賞

「前を向いて」

三島町立三島中学校 3年 佐藤 花音

 「ねぇ。これなぁに?」この言葉を言われたとき心臓の心拍数が一気に早くなりました。

 これは私が小学生の時の事です。「難聴」これは私の持っている障がいです。保育所にいるときに難聴だというのが判明しましたが原因は不明でした。小学校に上がり、上級生になると下級生から耳元を指差され、「ねぇ。これなぁに。」と聞かれることが多くありました。この時の自分は、あまり補聴器をよく思っていませんでした。皆にはなくて、自分だけにある。どうしてこんな思いをしなければならないのか。補聴器をつけ始めたばかりの頃はいつも思っていました。夏のプール学習は水の中では補聴器はつけられないため外して泳がなければなりませんでした。先生や友達がジェスチャーで教えてくれましたが、やはり、とても怖かったです。小学校2年生の夏、手術は初めてで、とても不安だったし、怖かったです。何もかもが初めてで、一刻も早くこの病院から出て大好きな妹に会いたい、三島に帰りたい、という思いだけが日々強くなっていきました。

 そんな時、一人の男の子に出会いました。私とは正反対の明るくフレンドリーな性格でした。彼はのどが悪く、のどの手術を受けなければなりません。そんな中でも、ずっと笑顔でした。なぜ、そんなに元気なの?声が出なくなったらどうするの?そんなことを考えているうちに、彼の手術の日がせまってきました。そして手術が終わった後、朝はいつものように明るかった彼は目を開けていませんでした。翌日、やっと彼が目を覚ましたときは、自分の体から重りのようなものが解けたような気がしてとても安心感を抱いたのを思い出します。私が、「大丈夫?痛くない?」と話しかけると、「大丈夫。怖くなかったよ。」と彼は言いました。それも、笑顔で。あの笑顔と言葉が本当なのか分かりませんが、もしかしたら、これから手術を受ける私に、つらいところや痛いのをがまんするところを、見せたくなかったのかもしれません。

 大丈夫、怖くない。手術をするために、サラサラしていて大好きだった髪の毛をバリカンで刈られているときも、手術室に運ばれているときも、ずっと彼の言葉を思い出しました。無事、手術は成功し、彼のあの笑顔を見ることができました。

 病気、障がい、これらを望んで生まれてくる人はこの世にはいないと思います。しかし、だれにでも起こりうるものです。私も彼も望んで障がいをもって生まれたのではありません。病気や障がいを「人間だからしょうがない」と片づけてしまう人がいると思います。そういう人たちに私は言いたいです。「今、あなたたちがどれほど幸せに暮らしているか。どれだけ良い事か。」ということです。世界には病院に行けず幼くして亡くなってしまう子どもたちもいます。生きたくても生きられない子どもたちが山ほどいます。そんな子どもたちに比べて、私たちは、ケガや病気になったらすぐに病院に行って治療してもらうことができます。もちろん、学校に行って勉強することもできます。毎日、食べものに困ることもありません。そういう子どもたちがいるということを重く受けとめなければならないと思います。私が、彼らの存在をテレビで知ったとき、たとえ耳が不自由だとしても自分がどれほど幸せかということに気づきました。

 小学生の時、耳もとを指差され、補聴器のことをよく思っていなかった自分はもういません。なぜなら、ありのままの自分を見せるほうがよいと思ったからです。今は学校がとても楽しく、充実していて大好きな場所です。楽しい場所にしてくれる、友達や先生方には本当に感謝しています。友達は、耳の不自由な自分のことをよく分かっていてくれて、口を大きくして話してくれたり、マスクをしている時は、わざわざ取って話してくれたり。本当にありがとうと伝えたいです。

 先生方、自分がちゃんと授業についていけるよう、リードしてくださって本当にありがとうございます。

 耳が不自由というのは不便なときもあります。しかし、私は難聴という障がいをもって仲間や人の大切さに気づきました。私は支えてくれる人に少しでも恩返しができればいいなと思っています。

 そして、自分は貧しい子どもたちを救っていける人になりたいと思っています。大きな壁にぶつかり、くじけそうになったとき、あの男の子のようにいつも笑顔で前を向き、頑張っていきたいです。