第41回少年の主張 福島県大会 最優秀賞

手話から広がる世界

喜多方市立高郷中学校 3年 石山心南

 弟は、私が小学校二年生のときに生まれた。世話好きの私はとても嬉しくて、保育園の先生のように面倒を見たり、一緒に遊んだりした。

 ある日、弟の耳に何かが付けられた。母に尋ねると、それは「補聴器」といって、啓心は耳が聞こえにくいから、私たちの声がよく聞こえるようにそれを付けるのだと、優しく教えてくれた。正直、私はショックだった。けれど、私がくよくよしても何も変わらない。大好きな弟の力になるため、私は自分にできることを探し始めた。

 色々な人から情報をもらい、私たち家族は「手話」に出会った。手話は、耳が聞こえない人が会話をするときに、なくてはならないものだ。手話を学び始めた頃、弟が通う聴覚支援学校の運動会に参加したことがある。手話だけで会話している人たちを見て、私はとても驚いた。私が言葉を話すように、手話を駆使して話の内容を理解したり、自分の考えを伝えたりしている。このとき私は決心した。私も手話をもっともっと上達させて、弟と会話をする。そして、弟だけでなく、色々な人と、手話で会話をしてみようと。

 私たち家族は、弟の小学校入学を機に、全員で手話サークルに通うことにした。そこで学ぶことはとても多い。例えば、手話は身ぶり手ぶりだけでなく、表情も大切であること。声は、イントネーションやアクセントを使って気持ちを表すことができる。しかし、手話にはそれができない。その分、様々な感情を表情で表すことが大切なのだ。また、手話サークルに参加している方々とのやり取りも、私に大きな影響を与えている。サークルの皆さんは雄弁だ。明るくフレンドリーで、手話の世界に飛び込んだ私たちを温かく受け入れ、優しく手話を教えてくださる。初めは、どんな雰囲気なのか、どう接すればいいのか不安もあったが、今ではコミュニケーションを楽しむ自分がいる。手話が少しずつ上達して、会話が増えるのが嬉しいし、自分の世界が広がっていくように感じるからだ。

 もちろん、まだ弟との間にすれ違いはある。最近も、うまくコミュニケーションが取れないことにイライラし、お互いに辛い思いをした。弟は発音が不明瞭なため、言葉が相手に伝わりにくいと分かっているはずなのに、気持ちを理解してあげられなかった。一番大切なのは、お互いを思いやる気持ちに違いない。しかし、手話が上達すれば、私は弟の伝えたいことを理解してあげられるし、弟も自分が伝えたいことを私に伝えられるようになり、すれ違いは減るだろう。  

 手話は、本当に素晴らしい。自分の思いを伝える術は、声だけじゃない。たとえ声が出なくても、耳が聞こえなくても、相手と話すことができる。手話を自由自在に使える自分になれたら、私にはどんなことができるだろうか。思いが膨らんだ。

 私は去年、あるCMを見て体に衝撃が走った。画面に映ったのは、難病の子どもを救う看護師の姿だ。それから調べるうちに、医療にも様々な職種があり、医師や看護師、薬剤師、臨床工学技士など、たくさんの人が関わって、一人の人間を救っていることに気づいた。私も、その一員になりたい。私の中に、強い思いが湧き起こった。

 私が目指すのは、手話ができる看護師だ。耳の不自由さは外から見て分かりにくく、困っていても、まわりに助けを求めにくい。ましてや病気になったとき、自分の体の状態がうまく伝わらなかったら、その不安や辛さはどれほどだろう。私は、そういう患者さんの心に少しでも寄り添い、力になりたいのだ。

 手話の素晴らしさや可能性を知った私にできることはたくさんある。手話を使ってたくさんの人を救う将来の自分を心に描きながら、今日も私は練習する。

 「大丈夫ですか?私が助けになります。」