第41回少年の主張 福島県大会 優良賞

「地球」に生きる

本宮市立本宮第二中学校 2年 佐藤柑菜

 「世界は広く、深く、美しく、計り知れないほどの可能性を秘めている。」これは、私がロンドンの地に初めて足を踏み入れた時に感じたことです。

 私は七月七日から七月十二日にかけて、福島県本宮市の国際交流事業の一環である「英国訪問」に参加しました。国際交流を通して、国際性豊かな人材育成を図ることを目的とした事業です。私は、この訪問で数多くの貴重な体験をしました。異文化交流、国際交流を経た上で、今ここで胸を張って主張し、この主張を聞いて下さるすべての方々に問いたいことがあります。本当の国際化とは、どういうことでしょうか。

 日本では、街中を歩いている際、すれ違う人々のほとんどが同じ目の色、同じ髪の色、同じ肌の色をしていると思います。それは、日本が島国であるという風土をもっており、長く他国との交流を断つ鎖国をしていた歴史などが背景にあるからです。一方、ロンドンでは街中を歩いていると、イギリス国民同士でも異なる目の色、異なる髪の色、異なる肌の色を持つ人、さらには異なる宗教を信仰する人がいます。これは、ヨーロッパの大陸続きの風土や、日本とは異なる歴史のもたらすものです。

 ですが、このように様々な違いを持つ人々が集まった環境下でも、人々は支え合いながら同じイギリス国民として生活しています。このことは容易に成し得ることではなく、すばらしいことであるとは思いませんか。私は、自他の違いに寛大で、意欲的に互いに理解しようとする心をもつイギリスの人々を心から尊敬しました。イギリスの街を歩き、私が感じたこれらのことは、自分の今まで持っていた「国際的」ということばの意味を大きく変えました。「あなたと私は違う。だからこそ受け入れ合って、理解し合おう。」そのようなメッセージをもつ人々が数多く存在することを、私自身肌で感じることができました。

 一方、日本ではどうでしょうか。以前、県外の高校で、生まれつき髪の色が明るい生徒の髪を黒く染めさせるというニュースがありました。私にはそれが信じられませんでした。髪の色が他の人と少し違うだけで、それは悪いもの、許されないものなのでしょうか。また、障害のある人々に対する国会議員の不適切発言を耳にすることもしばしばです。なぜ、障害を抱えながらも、自らの力で逞しく生きようとする人々を軽んずることができるでしょうか。そして、周囲と違う考えを持っていたり、行動をとっていたりする人を、数の暴力で精神的、肉体的に深く傷つける「いじめ」に関する悲しいニュースも後を絶ちません。「自分と異なる」ということは、「自分には無いものを、相手は持っている。」ということであり、相手から学べることがたくさんあるはずなのに。

 勿論、すべての日本人がそうである訳ではありません。しかし、「違い」を許さない風潮が他の国よりも強いと感じます。私は、自分と異なる人を排除しようとするのではなく、「自分と異なる人から、今までの自分には無かった知識や考えを得て、今後の自分の糧にする」ということを大切にして生きたいと思います。そうすることで、広い心をもち、自分自身の秘めた可能性を大きく広げ、強く美しい生き方ができると信じています。

 来年は、日本でオリンピックが開かれます。外国人観光客も年々増加しており、日本は昔よりも国際的な国になっているという実感があります。しかし、本当の国際化とは、たくさんの国の言語を話せることや、多くの国とつながりをもつということだけではないと思います。心から相手を受け入れ、互いに理解しようとする心が何よりも大切なのだと思います。「汝、隣人を愛せよ」という言葉があります。まずは、遠い国の人ではなく、すぐ近くにいる友人、家族、地域の人々と互いに歩みより、理解し合おうとすること。そして助け合いながら生きること。これが、私の考える「本当の国際化」への第一歩です。