第41回少年の主張 福島県大会 優良賞

群青の町を取り戻すために

南相馬市立小高中学校 3年 發田紗織

 皆さんは、小高中学校の「群青」という歌をご存じですか。この歌は、震災を体験した小高中学校の先輩方と当時の音楽の先生が、震災によって友人を失ってしまった悲しみと、原発事故によって全国に離ればなれになった仲間を想い、作ったものです。歌詞には、この地で共に育った仲間とのたくさんの思い出を背負いながら、群青の町である小高の地でいつかまた会えることを願って生きて行くという、前向きな気持ちが込められています。この歌は、当時幼稚園生で、震災の記憶もおぼろげだった私の胸に響き、当時のことを思い出させてくれました。そして、「この歌を歌い繋ぎたい」という気持ちにさせました。

 あれから8年が経ちましたが、私たちの町は少しずつ変化してきたのではないかと思います。立ち入ってはいけない場所はどんどん狭くなりました。お店も増えました。耳をすませば人々の声が聞こえてきます。野馬追最終日の野馬懸を小高で迎えることができるようになりました。これらは、小高に関わってくださった多くの人々が、復興のために様々な努力を積み重ねてきた成果だと思います。この町は、少しずつですが、確かに復興に向かっています。私は、復興とは町が元通りになるだけでなく、さらに、活気が戻ることだと思います。人々が町に戻り、それぞれの生活を整えた上で、地域の魅力を発揮した町づくりを行えるようになることが大切です。小高には一時期人が居なかったけれど活気が戻ってきた。震災の被害にあったと思えないほどにぎやかだ。今の小高が、そう言われるような状況に近づいていることを感じ、わくわくして、うれしくて、誇らしい気持ちになります。

 しかし、少し外に目を向けてみると、テレビのニュースや人々へのインタビューから聞こえるのは、「かわいそう」、「気の毒だ」等というネガティブな言葉です。復興への多くの努力があったおかげで、数年前に比べてとても暮らしやすくなってきています。それなのに、なぜ、そんな声ばかり聞こえてくるのでしょうか。

 私が考える理由の一つは、メディアが、私たちの良い面よりも悪い面ばかり取り上げているということです。例えば、原子力発電所に再び不具合が発見されたことや、児童生徒の数が年々減少していることなどです。私たちが復興を進めていることは大勢の人が知っていると思いますが、実際はどの程度進んでいるのかということを知っている人は、全国では少ないと思います。そのことを、「分かってもらえないのなら、それでしかたない」と、あきらめてしまうこともできるでしょう。しかし、それはどこか悔しいです。小高は良い町です。美しい海と山、たくさんの生き物、語り継がれる歴史、そして町のあちこちから人々の小高を愛する心を感じることができます。それを知っている自分たちだからこそ、小高には少しでも自信と誇りを持っていたいのです。

 では、私たちのことをもっと知ってもらうためには、どうすれば良いでしょうか。私は、未来を担う私たち子どもが、たくさんのことに挑戦し、その活躍を全国の方々に発信することで、小高が未来に向かって頑張っているのだと伝えることができるのではないかと考えています。千年に一度と言われた大震災とあの事故を乗り越えようとしている私たちの心は、とても強いはずです。さらに、世界には、今でも私たちのことを応援してくれている人達がいます。その人達に感謝の気持ちを伝えるためにも、私たちは自分自身のことを発信していくのです。この強い心があれば、また乗り越えていけるはずです。だから、小さな事からでも、少しずつ努力して、小高の復興と今、そして未来を伝えていきたいと思います。

 「群青」に、「また会おう 群青の町で」という歌詞があります。「遠く離れた場所で頑張っている友と、小高で再び会いたい。」先輩方が歌詞に託した願いを叶えるためには、彼らの帰りを待っている私たちが、この町を立て直していかなければなりません。「群青」を歌い続けることで、小高を取り戻すために力を尽くしていくという私たちの思いを、聞いている人々に届けることができるのではないかと思うのです。その志があれば、私はいつまでも、心を込めてこの歌を歌うことができます。そして、私自身、先輩方の思いを忘れずにいられます。そして、この地に生まれたことに誇りを抱きながら生きていきます。