第42回少年の主張 福島県大会 優秀賞

本当の正義感

南相馬市立原町第二中学校 3年 松崎 里帆子


 「自粛警察。」この言葉を知っているだろうか。新型コロナウイルスの蔓延に伴って起きた犯罪だ。自粛していない店舗への暴力行為やネットでの誹謗中傷など、信じがたいものばかりだった。しかし、よく調べてみると多くの店舗は要請を守ったなかでの営業であり、本来ならば取り締まる必要のない営業だったそうだ。それでは、なぜこんなことが起きてしまったのか。私は、間違った正義感が理由だと思う。「警察」という言葉で修飾し、自分の行動を正当化しているのだ。自分のもやもやを晴らせればそれでいいと考えていて、店舗を営業する人々がどんな思いなのか、何を工夫しているかなど、自粛警察にはきっと関係ない。彼らの心の中にはコロナウイルスに対する不安があり、それを払拭するための行動だったのだろう。しかしそれは、正義感の悪用だ。それならば、本当の正義感とはいったい何なのだろうか。そのとき、私の胸のなかに引っかかるものがあった。

 私が小学5年生のとき、クラスに障がいのある男の子がいた。ある日の授業中、彼が鼻をほじって、それを口に運んだところを見た男の子がいた。その話は一気に広がり、彼にはひどいあだ名がついた。私たちは、頭では分かっていたのだ。彼にとって、そういう行動に悪気があるわけではないということを。しかし、心では、それを理解できていなかったのだ。私も、初めはとめていた。ところが、周囲の「あいつは汚いことをしている。いくら言ってもやめないあいつに気づかせてやるためだ。これは正しいことなんだ。」という空気に流され、私も加わるようになってしまった。しばらく経ったある日、担任の先生が私たちの言葉に気づいた。急遽、社会の授業が学活に変更になった。先生の目には涙が浮かんでいたが、しっかりと私たち一人一人を見つめていた。「どうしてこんなことを・・・。」絞り出すように話し出した先生は、こう言葉を続けた。「みんなは、あの子の行動を汚いと思ってしまうのだろうが、あの子に悪気はあるのか?嫌がらせでやっているのか?違うだろう。相手を傷つけて気づかせようだなんて、間違っている。」先生の声には力がこもっていた。私は、ひどくショックを受けた。自分がしてきたことの重大さにようやく気付いた。その後、私たちは彼に謝罪し、卒業まで仲良く生活することができた。

 この体験を思い出すと、今でも心がチクリと痛む。あのときの私たちの行動は、正義感の悪用と言えるだろう。「汚い行動を正している」と、間違った正義感を振りかざしたことにより、言って良い言葉と悪い言葉の区別をつけられなくなっていた。特に、相手の痛みを推し量ろうとする気持ちを忘れてしまっていた。

 私は、自粛警察も同じ仕組みだと思う。相手の置かれた状況やルール、相手の思いをよく知ろうともせず、自分の見た事実や感覚だけを基準にし、相手を間違っていると決めつけて正そうとする。間違った正義感を振りかざしているうちは、自分の愚かさには気づけない。

 私は今、あの苦い体験を繰り返さないために、自分の心と相手の状況を冷静に見つめることを心掛けている。時に、複雑な人間関係の中で冷静に判断するのが難しい場面もあるが、そんなときは、誰かに悩みを話すようにしている。友人や先生と一緒に考え、判断しようとすると、一人では気づけなかったものが見えてくる。自粛警察たちも、自分の思いを店舗にぶつける前に、誰かに話したり調べたりして大きく視野を広げられれば、もっと行動は変わっていただろう。

 本当の正義感とは何か。私は、様々な角度から相手の置かれている状況を見つめ、相手の痛みに寄り添おうとする心だと思う。この心を忘れなければ、みんなが幸せになり、間違った正義感をなくすことができるだろう。

 私はもう二度と、間違った正義感で誰かを傷つけたりはしない。