第42回少年の主張 福島県大会 優良賞

真の命を守る行動

白河市立白河第二中学校 3年 鴻巣 桜子


 今、新型コロナウィルスの感染拡大が問題になっています。ここ白河では、まだ感染者は出ていません。もしこれから感染者が出たら、私たちは何を考え、どう行動するのでしょうか。

 日本の他の地域で感染者が出た時、何が起きたのでしょうか。それは差別です。例えば、感染者の個人情報が特定され、家に落書きや嫌がらせをされて引っ越しを余儀なくされた人がいました。SNSで誹謗中傷された感染者もいました。

 感染していない人に対しても、差別や嫌がらせがおきました。例えば、外出自粛の圧力の中、他の県のナンバープレートをつけた車が落書きや嫌がらせを受けました。開いているお店も嫌がらせを受けました。「自粛しなければならない」という同調圧力が、差別を生んだのです。

 ソーシャルディスタンスという言葉が、今たくさん使われています。感染を予防するために、人と人とが距離をとる必要がある、という意味で使われています。ですが、この言葉は差別の研究で使われてきました。人と人との心理的な距離、相手を避ける気持ちや行動という意味です。ですので、海外のメディアでは「ソーシャルディスタンス」という言葉は使われません。「ソーシャルディスタンシング」や「フィジカルディスタンス」が使われます。何も考えず「ソーシャルディスタンス」という言葉を使うことで知らず知らずのうちに、私たちは差別に加担してしまっているのかもしれません。

 新型コロナウィルスの致死率は、決して高くありません。特に私たち子どもは、かかってもほとんどが軽症で済みます。しかし、差別は人の心を深く傷つけ、生活を壊し、そして時に命を奪います。私たちはウィルスによってよりも、差別によって命が脅かされています。

 「命を守る行動」とはなんでしょうか。新型コロナウィルスに感染しないことだけが大切でしょうか。その「感染しないための行動」によって、差別が起きていないでしょうか。そして、「感染者を出さない」という強い圧力が、感染者への差別を引き起こしていないでしょうか。

 日本に住んでいる私たちは、普段、差別について考えることはあまりありません。しかし、日本にも差別はあります。例えば、障害者への差別、女性差別、性的マイノリティーへの差別です。人種差別もあります。在日外国人への差別です。それでも、日本人の多くの人たちは、自分が「差別される側」になることを想像しません。だから、差別について考えなくなってしまったのではないでしょうか。

 しかし、私たちは今、誰もが差別の当事者になる可能性があります。私たちはみな、例外なく、新型コロナウィルスに感染する可能性があるからです。そして差別をしているのは、「自分は差別とは無関係だ」と信じている人たちです。

 私たちは誰もが差別される可能性があります。そして、誰かを差別する可能性もあります。新型コロナウィルスによってそれが明らかになった今、自分ごととして差別について考え、自分自身の言葉や行動に意識的になることができるのではないでしょうか。私たち全員が差別の当事者になりうる今だからこそ、私たち自身の手で、差別のない社会へ変えていきましょう。