第42回少年の主張 福島県大会 優良賞

かけがえのない命

小野町立小野中学校 1年 先崎 愛実


 私は、4人兄弟の3番目。上に兄が2人と下に10歳離れた妹がいます。私はずっと末っ子で、妹ができるなんて思ってもみませんでした。小学4年生のある日、両親に、
「あみちゃん、お姉ちゃんになるんだよ!妹か弟ができるんだよ。」
と言われたときには、驚きと嬉しさがいっぺんに訪れて、なんだか不思議な気持ちになりました。その日から、毎日母の体の変化を目の当たりにすることができました。赤ちゃんが産まれるまでの10か月もの間、母は家事をこなしながら、赤ちゃんに栄養が十分にいくように食事にも気を付けていました。そして、日に日に大きくなる体と向き合いながら、私達3人のこともきちんと関わってくれていたのです。ちょうど一番上の兄が高校受験のときだったので、精神的にも肉体的にも相当大変だったはずなのに、いつもと変わらず笑顔でいた母の強さは、私もそばにいて頼もしく感謝の気持ちでいっぱいでした。

 3月7日。兄の高校受験の前日の日、陣痛が来て母は病院へ行きました。真夜中の出来事だったので、私は緊張・心配・期待とが交差して時間が経つのがとてもゆっくりに感じました。7日の朝早く、無事に妹が産まれたと連絡を受け、兄達と病院に向かいました。妹との初めての対面。とっても小さな手、小さい体、産まれてきてくれてありがとうと心から思いました。同時に、嬉しさと安心感で胸がいっぱいになり、涙があふれてきました。こんなに小さな命が母の体の中で頑張っていたんだと思うと、命が母の体の中に宿ってから誕生するまでの10か月間というのは、本当にいろいろな奇跡が重なって起こっているんだと改めて思いました。

 その後、4人目の出産を終えた頼もしい母が、妊娠してから妹の誕生まで初めての出産以上に不安だったと私に話してくれたのです。実は、私が産まれたときは大変だったので無事に生まれてきてくれるのか、大丈夫だろうかと心配の方が大きかったようです。

 私が産まれるとき、母のお腹に入って3か月にならないくらいで出血してしまいました。医者にも「もって3日ですね。」と言われたそうです。もう赤ちゃんはだめなんだと辛い気持ちで、母は毎日病院のベットで泣いていたところ、心音だけが4日目、5日目と小さい音だけど確認でき、それだけが心の支えだったと言っていました。父と母は、このままで産んでも障がい画の頃かもしれない状況の中、産むか産まないかという命の選択を迫られました。もって3日と言われた命が、1か月、2か月と心音だけでも一生懸命頑張って生きていてくれる。その命を絶つことは絶対したくないと、不安のある中でも、両親は命がある限り産むことを選択しました。それから出産までの7か月間は、入院で兄たちと離れての生活、そして産むと決めたことが本当に赤ちゃんにとって良い決断だったのかと迷い、毎日が不安との戦いだったそうです。3日もたないと言われた命が無事出産の日を迎えられたことは、本当に奇跡だと母も言っていました。さらに産まれた私は、心配された障がいが何一つなく五体満足だったという奇跡。担当した医者や看護師、家族皆がその奇跡に感謝と感動で忘れられない日となったと教えてくれました。生命の誕生とは、かかわった人の思いやいろいろな偶然が重なり奇跡が生まれるということなのだと、私は母の話を聞いて思いました。

 命があること、そして生きていることは、当たり前のようで当たり前ではないということを、妹が誕生したことや私が産まれたときの話から感じました。両親が守ってくれたかけがえのない小さな命。私の体の中で温かい命が今日も一生懸命息づいています。だから私はこのかけがえのない命を大切にし、未来へつないでいきたいです。